自分は何者か気づかせてくれた。
個性や強みを伸ばし極める。

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武田侑也

卒業フェロー(VFJ→大企業)

大学在学中にビジネスと英語を学ぶためにアメリカに留学し、帰国後は経営者になるために必要な経験を積むべくVFJの1期生として宮城県女川町の株式会社鮮冷に入社した武田侑也氏。新規事業の責任者として奔走した2年を経て転職し、現在は大企業で新たなキャリアを築いている。地方の中小企業から大企業へと挑戦の場を移した背景には何があったのか。

苦戦した新規事業の立ち上げ

VFJの2年間でどんなことに挑戦したのかを教えてください。

僕はVFJ1期生として、宮城県女川町にある水産食料品の製造販売を行う株式会社鮮冷に、新規事業の立ち上げ責任者として入社しました。

具体的にはBtoCの直販部門を担当し、既存商品を販売するオンラインショップと、全く新しいサービスの立ち上げに挑戦したのですが、前者は単月黒字を達成したものの累積赤字を取り返すところまではいかず、後者は結果的に立ち上げられませんでした。

それが、僕が鮮冷で過ごした2年での客観的な結果です。

どんな事業を立ち上げようとしていたのでしょうか。

コロナ禍で移動が難しくなり、帰省もしにくい社会情勢を受けて、親孝行ビジネスを形にしたいと模索していたんですね。年に4回、旬の水産物を実家と自宅に届けることで、離れていても同じ体験をしてもらいたい、と。

だけど、工場は同じ商品を大量に作るのは向いているけれど、個別の商品を作るのには向いていません。結果、生産コストが割高になっていました。

さらに、ターゲットとなる顧客の解像度を高められず、ネット広告による顧客獲得コストも割高になってしまった。これらの要因から新規事業はストップしました。

そこから既存商品のオンラインショップに注力するようになり、専務に壁打ちをしながら試行錯誤しながら、結婚式の引き出物やイベントでの大量注文を受注したときはホッとしましたね。

当時はなぜうまくいかないのかを考えられないくらい、必死の日々を過ごしていたのをよく覚えています。

苦しい日々を過ごすなかでも、VFJから学んだことはありましたか?

とにかく必死すぎて自分の現在地すらわからなくなることが多かったので、半年に1度の研修やメンターとの対話、壁打ちにはとても助けてもらいました。

特に学んだと思うのは、仮説を持って行動し、検証して改善する、いわゆるPDCAを回していくことの大切さです。当時の僕は決めることが怖かったし、正解にこだわっていたから自分で仮説を持って行動する勇気がなかったのですが、動いてみないと何もわかりません。

今は何を目標にして、どのように行動すればいいかを考えられるようになったので、これが一番大きな収穫だったと思っています。

主体的な意思決定ができるようになったのですね。

そうですね。間違いに気づくことも一歩前進だから、主体的な意思決定が失敗だったとしても、それをポジティブに捉えられるようになりました。

大企業で自分のバリューの出し方を探る

武田さんは、VFJの2年間を卒業後、大企業へと転職されています。大企業に転職した背景にはどのような理由や狙いがあったのでしょうか?

新規事業を立ち上げられなかったという挫折を経験し、一度メンタルが落ちるところまで落ちたんですね。もう何もやりたくない、何も考えられない、と。だけど挫折したことで失うものがなくなった僕は強くなり、次に踏み出す勇気が出ました。

そこで興味を持ったのが、地方の中小企業と大企業では、物事や事業の生み出し方、運営のされ方にどんな違いがあるのか、ということ。

売上規模の大きな大企業が社会に与えるインパクトを知りたいと思い、海外に関われる大きな組織で、かつ成長できそうだと思えた企業に、2022年に転職しました。

ここで最初に配属されたのは海外営業でした。VFJの影響で与えられた業務をこなすだけの仕事に違和感があり、いかに数字を出してビジネスに貢献できるかを意識して行動や提案をしていました。当初から営業で経験を積んだらまた経営者の近くで働きたいと思っていたのですが、偶然が重なり、入社から10ヶ月目で経営企画に異動することができ、現在では大企業の経営の最前線で仕事をさせていただいています。

今は会社の変革期でもあるので、いろんな部署に話を聞いて経営層に報告したり、経営層の思いを実行したりしつつ、経営企画での自分のバリューの出し方を探っている最中です。

大企業の仕事内容やその進め方にギャップはないですか?

仕事内容は違っても、会社に貢献したい気持ちは変わらないですね。むしろ今は、大きな金額を稼いでいる会社の中枢にいるから、もっと学びたい気持ちが強いです。

しばらくは経営企画でどんな活躍ができるかを見定めつつ、部下を持ってマネジメントするようなチャンスがあれば、積極的に挑戦したいと考えています。

VFJでの経験は生きていると感じますか?

VFJで培った、自分がいかにバリューを出してビジネスに貢献するかを考えることや、PDCAを回して主体的に改善していくことは、今の会社で生きています。

ゼロから仕事を生み出すことや、改善点の提案はいくらでもできるようになったので、今の会社でもそういった個性を気に入ってもらえたのか、役員と食事の席をご一緒させていただく機会もあります。

VFJが気づかせてくれた、自分の個性や強み

最後に、VFJを検討する人や挑戦を決めた人に、メッセージをお願いします。

僕は「経営者になりたい」と思っていたから、VFJでチャレンジをしました。ただ、尊敬する経営者のようになりたいと思っていくら頑張っても、こうなりたいと思う経営者の型が自分には全く当てはまらなかったんです。

たとえば、寝る間も惜しんで仕事をする経営者はたくさんいますが、僕は寝ないとダメで、そういう自分を認めたくなかった。

四六時中連絡が来ることもストレスで、必死に慣れようとしたけれど、慣れるものではありませんでした。理想の経営者と自分との乖離には苦しみましたが、その経験があったから「自分は自分。自分にできることしかやれない」と気づいたんです。

経営者が鳥だとすると、自分も鳥だと思って同じように空を飛びたいのに飛べなかった。なぜ飛べないんだと泣いて地団駄を踏んでいたら、実は陸上の四足歩行の動物だったと気づいた、といった感覚です。

しかも同時に、四足歩行しかできない自分の素晴らしさにも気づけて、自分に与えられた才能でできることに取り組めばいいんだと腹落ちできました。

自分が何者であるかがわかった。

そうですね。僕は明らかな起業家タイプではないから、自分のスタイルで起業家になればいいと思えたのは、VFJの経験があったからこそ。

できない自分を認めたくないし、成長しているかもわからない、苦しい2年間でしたが、それが自分自身を知る機会になっていたのは明らかで、自分の長所や強み、個性を伸ばしていく方向にキャリアチェンジできたのは良かったと思っています。

それをファーストキャリアの2年間で気づくのはすごいです。

VFJに入っていなかったら今も気づかずに、理想の経営者像を追い求めていたと思います。でも今は、自分が苦手とすることや、勝てない人が明確にわかるから、その人たちにできなくて自分にできることを極めたいと思えるようになったんですね。

僕にとってVFJは、自分が生きたい道を切り開き、その道を生きる覚悟ができた時間だったので、自分のキャリアを自分で切り開きたい、自分は何者かを知りたい、ビジネスで貢献できるだけの成長をしたいと思う人は、ぜひ飛び込んで欲しいと思っています。

苦しく大変な日々が待っているかもしれませんが、それは確実にあなたを成長させてくれるはずです。

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2年後の自分は、
今日の挑戦で変わる。

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